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都市とデザインと : 一乗寺・詩仙堂

7/25。『オレノパン』から南東へ移動。一乗寺下り松の辻から坂をしばらく上がると右手に『詩仙堂』の額を掲げた山門が現れる。『詩仙堂丈山寺』の建物は文人・石川丈山の山荘『凹凸窠』(おうとつか/1641年築)が後に禅寺として転用されたもの。

ゆるい石段のつきあたりには老梅関と呼ばれる門。正面からやや左にずれた位置にあるためアプローチから境内は直接見えない。くぐると白砂の庭を手前に建物が連なる。左手の受付を通って縁側から瓦敷の玄関へ。左へ折れて仏間の前を過ぎると、座敷から南側の庭へと視界が一気にひろがる(南東に向かって庭を見た写真縁側から庭を見下ろした写真)。以下、写真はクリックで拡大。

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縁側は東西の座敷をつなぎ、その折れ曲がった箇所から三角形の台が張り出す(下の写真)。手摺の向こうに手水鉢が立ち上がり、足下には小川が流れる。

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東の座敷から庭へ降り(降り口から庭を見た写真降り口の踏石の写真)、ちいさな滝の音を聞きながらうしろを見返すと、建物の3Fにあたる嘯月楼の丸窓がよく見える(下の写真)。

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庭は大きくふたつのレベルに分かれており、南奥はさらに一段と低い(下の写真はそこから建物を見返したところ)。奥に高木の林。手前に低木の植え込み。絶妙に折り重なったレイヤーが『詩仙堂』ならではの眺めを生み出している。

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短い石段を下りると左手に添水(そうず/ししおどしのこと)。作底に添水を用いた例としてはごく初期のものらしい。広場(下の写真)から西側に歩を進める。

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ゆるい傾斜を下るにつれて植栽は密度と種類を増す(下の写真)。その中をかきわけるようにして残月軒などの離れが配置されている。

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さらに奥へ進むとふたたび広場。供養塔が庭の終点となる。下の写真は建物へと戻る途中足下を横切った小川の様子。

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起伏といい植栽といい建物といい、実に緻密で変化に富み美しい。溢れかえる野趣に解け合う極めつけの人工美。庭とインテリアとがこれほど見事にひとつながりになった場所も他に無い。夢のような光景に思わず息を呑んだ。

詩仙堂丈山寺
詩仙堂丈山寺(Wikipedia)

2010年12月03日 01:00 | trackbacks (0) | comments (2)
comments

詩仙堂行ったんですね
この写真だと夏場ですよね 秋や冬もかなり景色は違っていて楽しめますよ
確かに建物あっての庭だし庭あっての建物だし

この時代あたりの建築物ってかなり特殊ですよね
平安あたりになると中国や朝鮮の文化を色濃く受け継いでるし
ほとんど資料が残っていないらしいけど
鎌倉あたりは武家建築のようなより質素で堅牢なものだったようだし
この時代の建築物は一種の哲学や思想が色濃く出ているような
あくまで建築もいい意味で表現の一つになったような感じがするので
すごく落ち着きますよね
どこの文化じゃなく{和風}になった時期なんじゃないでしょうか??
さすがに世界で一番古い国の都だった場所ですよね

(二千年単一国家でましてや天皇家まで・・・日本は現存する
世界最古らしいですよ・・・国として
確かに中国は王朝は変わってるし、民族は違ってるし
皇帝はいないですもんね・・・・)

当時の人間の息使いや美意識まで残っているなんて・・・・・
自然をめでると言うか一部になると言うか・・・
とっても詩的な造形物・・・日本の物って案外詩的ですよね
物やらネーミングやら言葉やら・・・・・
風流で美しいものが多いししゃれが利いてるし

これって結構誇れる事ですよね

posted by: kiyo : 2010年12月06日 11:50

>kiyoさん
江戸前期の数寄屋はほんとにいいですね。自由で肩の力が抜けてて。中でも詩仙堂は素晴らし過ぎて悔しいくらい。詩的です。現代にこんな豊かな場所をデザインするには、おそらくいっそのこと高層ビルも電柱も、あるいは家電もパソコンも風景として受け入れるような、美意識や発想の転換が必要なのかもしれません。

posted by: 勝野+ヤギ : 2010年12月06日 21:31

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