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都市とデザインと : CROSS TALK 菊竹清訓×妹島和世×西沢立衛

8/19。清澄・小山登美夫ギャラリー『建築以前・建築以後』展内のイベントとして開催された『CROSS TALK 菊竹清訓×妹島和世×西沢立衛』の簡単な覚え書き。

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菊竹:建築家にはキャリアの最初に自邸を建てる人と、後になってから立てる人が居る。/独立して最初の3年間の仕事は木造建築の改装ばかりだった。/好きなように建てたい、という思いから『スカイハウス』(自邸)へ。/九州の旧家の座敷を基にプラン。/傾斜地だったので湿気を逃がすため高床に。→風通しが良過ぎて冬はすごく寒かった。

妹島:菊竹氏を『梅林の家』へ案内した時に「すごく透明な家ですね」と言われたのが印象的。「透明であることは多様であること」とも。

西沢:近頃は「庭と室内が全く別の世界でもいい」と思っている。

菊竹:『スカイハウス』が出来て、隣の土地が売りに出されてしまった。また、庭によくゴミを捨てられた。/子供部屋を子供の寸法に合わせて小さなモジュールでつくったことは大きな失敗だった。子供部屋は大人の個室と同じようにつくれば良い。もしくは子供部屋自体無くても良い。/バスルームを小さくしたことも失敗だった。ゆっくりと過ごす上で全く合理的ではない。/キッチンを小さくしたのも失敗。料理が出来ない。/コアシステムは一般に問題が多い。家のまん中にトイレがあると、とても使い辛い。/清家清氏の自邸は水廻りが家の端にあり、かつ建具が無かった。実に合理的。/『梅林の家』は動線がひと続き。連続性が透明性に繋がる。ガラスを多く使ったからと言って必ずしも「透明」にはならない。

西沢:「軽やかさ」をテーマにしたことはない。結果的に軽くなってしまう。

妹島:「壁」を基本には考えない。軸組的に発想しているのかもしれない。

菊竹:「仮説」が立てられることが建築家の条件。「仮説」は考えて立てるものではなく、偶然にやってくるもの。/地主(九州の実家)の家には本は無い。日々の興味は「ぼーっと過ごすこと」と天気だけ。/日本の独自性があるとすれば、異質なものを改変しながら数百年かけて受け入れる能力だろう。/ヨーロッパのデザイン様式は流行っては無くなってゆく。日本人は様式を平行して持ち続ける。/50年代に「人間は土地をつくることが出来るのではないか」という仮説から様々なプロジェクトを手掛けて来た。以来ずっと同じことをやりつづけている。/「土地」の話をレム・コールハース氏にすると(『スカイハウス』来訪時)、深く共感していたようだった(コールハースはオランダ人)。「菊竹の活動はアーキグラムに近いものと考えていたが、全く違うことが分かった」とのこと。/建築はコンテンポラリーアートとは距離を置いた方が良い。

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ギャラリーでは菊竹氏による1950-70年代のスケッチや模型をいくつも見ることができた。純粋な夢と理想に溢れきらきらと輝くような作品たち。なんと言うかもう「癒し系」なのだ。氏がギャラリーの壁に直接描いたドローイングも素敵過ぎる。

今週末まで開催「建築以前・建築以後」展(August 27, 2009 / excite.ism)

2009年09月23日 14:00 | trackbacks (0) | comments (2)
comments

このようなメモは大変ありがたいです
近所だから行けば良かった・・・

posted by: yo : 2009年09月26日 01:44

>yoさん
遅レス失礼しました!菊竹先生に癒されっ放しの1時間あまりでした。来れば良かったのにー。展覧会の内容としてはビデオのところ(特にスカイハウスでのパーティー風景)が一番興味深かったです。

posted by: 勝野+ヤギ : 2009年09月26日 20:37

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