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身体と空間の芸術 : 2007年の勅使川原三郎と維新派

10/7。新国立劇場で勅使川原三郎『消息 - Substance』。小劇場に入ったのはこの日が初めて。仮設的で濃密な空間。ステージとの距離が近い。しかし前方にはプロセニアムの上枠のような状態で吊られた造作があり、前面にずらりと並んだ蛍光灯が目を眩ませる。やがて光の緞帳が上昇し、暗転。
ステージ上がぼんやり明るくなると、左右に斜めに傾いた金属パイプが風にしなう竹林のように群れをなしており、ダンサーたちはその間から現れては消える。特に静と動を激しく繰り返す佐東利穂子氏の存在は凄まじい。時折、床面にライティングの描く円環が空間に狭い領域を生み出し、ダンスはその内外で展開する。ステージ上部は蚊帳のようなもので覆われており、その下面には床より若干小さなサイズの円環が、暗い中心を持つ月のようにぽっかりと浮かぶ。最奥の壁面に沿ってぶら下がった数個の電球もまたダンサーたちにそれぞれ小さな領域を提供する。
勅使川原氏の作品としては要素が多く、構成的にやや求心力を欠くようにも思われたが、もしかすると劇場の規模が変わればそれだけで随分と印象が変わるかもしれない。進化の予感のある作品だ。

11/4。彩の国さいたま芸術劇場で維新派『nostalgia』。20世紀初頭の南米を舞台に、騒乱と大戦の影の中で迫害を受ける移民カップルの出会いと、それぞれの旅を描く。
舞台の大仕掛け。断片的な台詞と抽象化された動作。形式的には変わらぬ維新派流のスペクタクルながら、全体を通しての印象はより生々しい。装置類にはいつもほどの圧倒的なボリュームは無く、替わりに巨大な書き割りがステージをレイヤーに分け、ダイナミックに入れ替わる。また、マスゲーム的な演出はいつも以上に洗練され、迫力のあるものとなっていた。史実を参照し、ほぼ時系列で組み立てられたストーリーは、維新派の作品としては異例に分かりやすい。
エンターテイメントとしてのクオリティが一気に高められ、猥雑さや手作り感が若干影を潜めてしまったことに寂しい心持ちも無くはない。それでも維新派が明確に新しい段階へと踏み出したことを祝福したいと思う。これが三部作の最初とのこと。引き続き登場するであろう着ぐるみ人形の<彼>、キャラクターたちの行く末など、今後の謎解きと展開が気にかかる。

12/16。再び新国立劇場・小劇場。勅使川原三郎『ミロク MIROKU』。勅使川原氏のソロ作品。三方をフラットな壁に囲まれたステージ上には装置らしいものが一切無い。勅使川原氏が静かに現れ、横長四角形を照射するよう制御されたライティングが壁面をグリッドパターン状に発光させ始める。壁は全面を蛍光ブルーに塗装されている。空間を支配する青い光の明滅と滑らかな動きの中で、蛍光オレンジのTシャツを着けた勅使川原氏が、残像とともにダンスする。
ステージ中央に四角いスポットライトが落とされると、ダンスはその領域を避けながら、あるいはその中に居る見えないダンサーとデュエットするようにして展開する。後半、裸電球が上部からぶら下がり、それを手にした勅使川原氏はソケットに付いたスイッチを入切しながら目まぐるしく動く。点光源から放たれる光によって壁面に拡大される勅使川原氏の影が、時折人間ではない「何か」を想起させる。
やがて青い光が上昇パターンを描きはじめ、静かにエンディングが訪れた。その様子を詳述することは避けておこう。ステージから客席に向かって真っ直ぐに吹いた一陣の風の肌触りを、おそらく私たちは決して忘れない。なんというシンプルで、ストレートで、心豊かな演出か。

SABURO TESHIGAWARA / KARAS
維新派

DANCE CUBE/アプローズ・ダンス!EAST
勅使川原三郎が新作『消息 - Substance』を上演(2007年11月号)
勅使川原三郎のソロ『ミロク MIROKU』(2008年1月号)
*リンク先中段以下に写真入記事

2008年01月22日 04:00 | trackbacks (0) | comments (0)
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