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落語初心者のメモ : 談志ひとり会 - 秋冬三夜・2006/11/13

11/13。『談志ひとり会 - 秋冬三夜』の第二夜を見た。国立劇場演芸場はこぢんまりとしたいい会場だった。しかしアプローチに華やかさのかけらもないのが勿体ない。

この日の立川談志師匠は声の調子がかなり悪いようだった。この三年くらいの間に何度か見た高座の中でも、これほど辛そうな状態を見るのは初めてのこと。ご本人曰く「自殺しないので精一杯」。それでも『つるつる』で演じた太鼓持ちの、軽薄でしかも奥行きのある人物像は素晴らしく味わい深いものだった。こうした卓越した表現としみじみとした感覚は、やはり近年の談志師匠ならではのものだ。
仲入りをはさんでの『青龍刀権次』は講談がベース。ある事件を目撃してしまったばかりに牢屋と娑婆を行き来するはめになる運の悪いちんぴらのエピソードが、江戸末期から明治初期の時代の移り変わりを背景に、淡々と語られるのが印象的だった。

全体に談志師匠の芸を見る上では十分な内容ではあったものの、過去に見た高座のような研ぎ澄まされた空気感はそこには無かったと言わざるを得ない。聴衆を前にして満足な芸を見せることができないことの辛さ、もどかしさは相当なものだと思う。この至芸を見ることができるチャンスはもう数少ないかもしれない。

公演のパンフレットに載せられた談志師匠の愚痴まじりのコメントに面白いくだりがあった。曰く、立川流の落語はその内容こそ現代的・個性的にアレンジしてはいるものの、発声については伝統のトーンが残されている、とのこと。トーンの違った落語はもはや落語と呼ぶには怪しいが、確実に落語は変わり、立川流は大衆から浮いてしまった、とこぼしている。
芸は世につれ。愚痴を額面通りに受け取るつもりはないが、一見アヴァンギャルドな立川流にこそ伝統が色濃く残っているのだとすれば、落語を見る側としても考えさせられるものがある。

何を持って「伝統」とするか、と言う問題は、デザインの現状においても重要なんじゃないか。

立川談志
立川談志(Wikipedia)
立川談志独演会・2004/5/28
立川談志独演会・2005/1/22
談志VS文珍ふたり会

2006年11月17日 18:00 | trackbacks (0) | comments (0)
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