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落語初心者のメモ : 桂枝雀七回忌追善落語会

3/28。歌舞伎座に『桂枝雀七回忌追善落語会』を見に行った。

南光師匠を中央に据えての枝雀一門による口上の後、先ずは雀三郎師匠の『時うどん』。シンプルなことこの上ない噺の流れにねちっこいギャグがこれでもかとばかりに投入されたサービス満点の熱演。おかげですでに落語満腹中枢が刺激されつつあった観客の状態を察してか、続いて登場したざこば師匠は予定されていた演目をやめて家庭生活への愚痴と兄弟子である枝雀師匠への愚痴をたっぷり喋って下さった。これがもう異常に可笑しいのだ。ずーっと怒り口調で喋り続けて、あれだけ観客を喜ばせ、爆笑させられる人は他に居ないのではあるまいか。なんとも凄い芸だ。

続いてはいよいよ米朝師匠(枝雀師匠の師匠)の登場。パンフには“お楽しみ”と書かれていたので、小咄でさらりと切り上げるのかな?と思っていたのだが、ご本人曰く、体調によって何が出来るか(そもそも出演できるのかどうか)分からないご高齢のためそういう書き方にしてあるそうで、「何も楽しいことなんかあらしまへん」とのこと(もちろんここは笑うところだ)。そして嬉しいことに『鹿政談』を聞かせて下さった。さすがに途中何度か噺の詰まるところがあって、はらはらしたりもしたが、往年の美しい話芸を十分に彷彿させる一席だった。生で見ることが出来て本当に良かった。

中入り後、舞台上のスクリーンに枝雀師匠が登場。『枝雀寄席』(朝日'79-99)オープニングでのトーク。一気に懐かしさがこみ上げた。続いて南光師匠を司会に森末慎二氏、司葉子氏、早坂暁氏をゲストに迎えてのトーク。そしてついに、この日実は一番楽しみにしていた柳家小三治師匠が登場。とつとつとした、いや、余白の多い、と言うべきか、独特の口調で遠方のライバルであり同士であった枝雀師匠の思い出を丁寧に噛み締めるように語るまくら。もういきなり感動で涙目の私たち。するとしんみりした空気を振り払うように、小三治師匠は『一眼国』をはなし始めた。やはりトーンを抑えた言葉や仕草、表情。そこから観るものの想像を促すわけだが、ゆったりとした間合いの取り方が何しろ絶妙。余白もその使い方次第で噺に遊びを与えるものにもなれば、緊張感を与えるものにもなることを思い知らされた。乗せられ易い私たちなんかは草原の場面で本物の風が吹いたような気さえしてしまったくらい。ヘンなたとえだが、まるで俳句のような落語。粋だ。

さらに続いて舞台上にスクリーンが再登場。枝雀師匠のビデオ落語が始まった。事前に公表されていなかった演目がテロップで表示された途端、客席のあちこちから「代書屋や」「代書屋や!」とささやき声。それほど『代書屋』は枝雀師匠の持ちネタとして有名なものだったのだろう。この日の『代書屋』は枝雀師匠オリジナルの「ポンでーす」のバージョンではなく、「ガタロでーす」の一般的なショートバージョン。噺の流れが一般的な分、枝雀話芸の独自性が余計に際立つ。なにしろ登場人物の演じ分けのコントラストが凄まじい。ツッコミ役である代書屋を演じる師匠と、ボケ役である客を演じる師匠とのテンションの違いは、まるで別人格じゃないかと思われるほど。おかげで見てる方は始終お腹がよじれるほど笑い転げていられるが、なるほど演る方にとっては神経をすり減らす芸であるに違いない、と思ったのもまた事実だった。
歌舞伎座でのビデオ落語の満足感は期待をはるかに上回るものだった。この感じは家庭のテレビやDVDで落語を観るのとは比べようが無い。観衆の中に身を置いて、笑いの波を肌で感じながら見るスクリーンに居たのは、あの世から舞い戻った枝雀師匠その人であったように思えてならない。その思いはおそらく舞台の袖にいた人たちにとっても同じだったのだろう。上映後。もう一度舞台上に並んで最後の挨拶を勤める枝雀一門のどの目にも涙が光っていた。偉大な師匠を持つことはかくも幸せなことであり、また重荷でもあるのだろう。

『桂枝雀七回忌追善落語会』はこの歌舞伎座公演を皮切りに名古屋、大阪、京都などでも開催される予定。

桂枝雀七回忌追善落語会(歌舞伎座)

2005年04月02日 14:59 | trackbacks (0) | comments (0)
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