life
life of "love the life"

都市とデザインと : 岩崎堅司展 IROIRO・DEKOBOKO

10/9。夕刻に大江戸線で六本木へ。ミッドタウンから真っ直ぐギャラリー間へ移動し『小嶋一浩+赤松佳珠子/CAt展』を見た。それから千代田線で表参道へ。ギャラリー5610で『岩崎堅司展 IROIRO・DEKOBOKO』を見た。

CAt展については特に書くことは無い。しかし岩崎堅司展は小規模ながら素晴らしい内容で、これを見るためだけにでも、仕事の合間にアトリエを抜け出した甲斐があった。グラフィックデザイナー・岩崎氏の経歴については残念ながら詳しいことが全く分からないが、ウェブ上の情報を継ぎ合わせて判断すると、おそらく御歳は古稀を過ぎておられる。杉浦康平氏、福田繁雄氏、仲條正義氏らとほぼ同じかほんの少し下の世代だ。
会場には岩崎氏がこの展覧会ために制作した平面作品と、スチールによる立体作品が並べられている。どれもが極めつけにミニマルなグラフィックアートで、その構成要素はほぼ無個性なフォントと色面のみという潔さ。連続する箱の凸凹がLIFEを描き、JOHNの細部にIMAGINEが潜み、ECOLOGYとECONOMYが微笑みながら出会い、PEACEとWARが表裏に重なり合う。作品からストレートに伝わるメッセージやユーモアが心を打つ。

この展覧会を見て私たちが感じたことを敢えて一言で表すと、それは“駄洒落力の凄味”であったように思う。こう書くとほとんどの人が引くんだろうな、と思いながら書くわけだが、あたまに“駄”とは付くものの、実のところ駄洒落は大変立派なものではないかと私たちは睨んでいる。
駄洒落とは、無縁の彼岸同士にあるふたつの概念を結びつけるパラレルな思考に他ならない。それは芸術の本質と言っても差し支えの無いものだ。あるいは駄洒落とは、“芸術を裸にしたもの”なのかもしれない。

私たち若輩デザイナーは自らのデザインをなんとなくおシャレな空気感で包んで、ぼんやり見ている人に「ちょっと良さげかも」と錯覚させることにかけては上の世代のデザイナーよりも長けているかもしれないが、表現の根本は脆弱だ。なにせ私たちはコンセプトを直接的に伝えることを“こっぱずかしい”と感じてしまう。裸では最初から勝負にならないのだ。

ギャラリーを出て骨董通りを渡り『蔦珈琲店』で庭の秋草を眺めながらぐるぐると考えを巡らせた。デザイナーたるもの、おシャレよりも駄洒落を磨かねば。
骨太で、力強く、かつなんともキュートな岩崎氏の作品は、正に裸のグラフィックアートだった。

Gallery5610

2007年10月12日 00:04 | trackbacks (0) | comments (0)
comments

post a comment




*ご記入のメールアドレスはブログ管理者にのみ通知され非公開となります。



back|mail
copyright