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都市とデザインと : 訃報・黒川勉氏逝去

ここに書くかどうか迷ったが、やはり書くことにする。黒川勉氏が亡くなったそうだ。人づてに伺った話で細かいことは分からないが、急に体調を崩されたとのこと。1962年のお生まれだからまだ四十代も前半。なんてことだ。最初にお聞きした時は思わず言葉を失った。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

黒川氏とはHデザインアソシエイツでご活動中の頃に一度名刺交換をしたきりで、面識らしいものは全く無い。氏の作品は主に専門誌やデザイン書で拝見したが、そのたび魅入られたように冷汗をかいたものだ。多少でも腕に覚えのあるデザイナーなら、氏のデザインした空間のクールな表層越しに、狂気にも似た感覚を嗅ぎ分けるだろう。特にアウトデザイン設立後の作品の凄さは際立っている。ここ1、2年、その強烈な印象は増すばかりだった。

黒川氏の作品にはスーパーポテト出身という血筋の良さを了解させる設計者としての上手さと同時に、消費者の気分を高揚させるファッショナブルさがあった。その上で、ともすればそれらの美点を帳消しにしかねないような一見バランスを欠いた造作や構成、汚れたり掠れたりしたようなペイントや素材使いを大胆不敵に用いるのが氏特有のやり方だった。同じデザイナーの立場から見れば、それは茶席で爆発物を調合するような危うい行為だ。氏はそうした瀬戸際の実験を極めて計算高く、そして執拗に試行し続けるサイエンティストのようだった。

黒川氏が現代のインテリアデザインの世界においてスターの一人であったことにもちろん間違いは無い。しかし氏がトレンドを意識したデザインや、自己複製的なデザインを手がけることを、私たちはついにほとんど目にすることが無かった。コマーシャルな世界にありながら、氏のデザインは毅然とマーケットに消費されることを拒否していた。氏は孤高で、異次元の存在だった。
私たちは黒川氏の活動から目が離せなかった。恐るべき同業の先輩。私たちにとって黒川氏はいつもそんな存在だったし、この先もずっとそうであり続けて下さることを当然のように疑わずにいた。後の祭りだが、亡くなる前にぜひ一度ちゃんとお話をしてみたかった。

ブティックのインテリアデザインを主に手がけられていた黒川氏の作品は、おそらく今後数年もすればそのほとんどがこの世から消去されてしまう運命にある。しかし私たちは黒川勉というデザイナーが存在したことを決して忘れることは無いだろう。

OUT.DeSIGN

2005年07月26日 05:29 | trackbacks (0) | comments (8)
comments

黒川さんがなくなったことを、最近知りました。私の住む宮城県に、彼のデザインがわずかにあります。実をいえば、私は彼自体をよく知りません。でも、何かの折に彼の名前、作品を目にするたびに、不思議と心に残っていました。インテリアって工夫次第でどうにでもなるんだなという事も、ELLEDECOに掲載された、黒川さんのお宅を見て感じた事が、ささいな事ながら、私の心の中に残っております。
ふと、黒川さんの事について、調べてみたくなり、このブログと出会いました。特に何の知識もありませんが、徒然なるままに。。。書いてしまいました。それでは。。失礼いたします。     石川礼美

posted by: 石川礼美 : 2008年04月25日 12:37

>石川さん
はじめまして。没後3年を経て、この記事にこうしてコメントをいただけることに、あらためて黒川氏の存在の大きさを痛感します。黒川氏の作品は東京でも数少なくなりつつありますが、その技術に裏打ちされた個性と、街中で実際に出会った時に覚えるインパクトは、今でも全く色あせていません。「心に残るデザイン」は確かに可能なのだな、と思います。

posted by: 勝野+ヤギ : 2008年04月26日 00:42

初めまして。宮城県仙台市でインテリアデザイン事務所に勤務しているものです。自分は今年大学の建築学科を卒業し、インテリアの業界に飛び込みました。しかし、現実と理想はかけ離れたところにあり、この業界に幻滅をしていたころ、自分が持っていた古い雑誌の記事で黒川勉氏を知りました。雑誌のインテリアデザイナーの紹介のような1ページしかない記事だったのですが、そのなかで黒川氏が言われていた、「今はなんでもデザイン。だけどデザインでもっと違うでしょタカピーではないけど、デザインってもっと高いところ」という言葉にものすごく感銘を受け、自分が目指していたところはここだと再認識させてもらいました。その記事を読んだ後、黒川氏のことがとても気にかかり、黒川氏が仙台で設計された「アダム エロペ」の存在を知りました。自分は毎日事務所から仙台のアーケードを通って帰宅するのですが、その途中にあるこの作品をみる度、自分も妥協せず、命を削ってこの世界で勝負してやろう、という気持ちが巻き起こってきます。ものの表層をただつくるだけでデザインをしたと思っているデザイナーがほとんどのなかで、黒川氏の作品は、言われた通り、ただの表現を超えて、狂気にも似た「何か」があるような気がします。
今日、このようなブログと出会い、黒川氏の影響力を改めて感じました。仕事の合間にこのブログを発見し、思わず書き込みをしてしまいました。。。ちなみに私も石川と申します。
ありがとうございました。

posted by: NAOMICHI ISIKAWA : 2008年06月26日 18:33

>NAOMICHI ISIKAWA さん
はじめまして。インテリアデザインに携わる方、しかも若い世代の方からコメントをいただく機会はほとんど無いので嬉しいです。

私たちがこの世界に入りたての頃には、本当に命がけでデザインに取り組んでいる先輩が沢山居ました。近頃そんな危ない人は滅多に居ないかもしれません(笑)。でも、インテリアデザインがそれだけの価値を有することに今でも何ら変わりはない、と私たちは思います。黒川氏もきっと「危ない人」だったに違いありません。

幻滅したり妥協してしまいそうになったりした時には、良い作品を見れば力が湧いてきます。書籍でも構いません。

http://www.lovethelife.org/life/archives/cat15/

ここのところメディアにはめぼしいインテリアデザイン作品があまり取り上げられない傾向がありますが、実際には少ないながら今でも黒川氏に比肩する高いスピリットを持つデザイナーや建築家が全国で活躍なさっています。お互い頑張ってこの世界を盛り上げてゆきましょう。

posted by: 勝野+ヤギ : 2008年06月27日 07:56

はじめまして、徳永です。
実は、スーパーポテトのホームページの杉本氏を調べていて、黒川氏にたどり着きました。そして、嘘のようですが、黒川氏の本を夫が持っておりました。その編集に協力した会社(ビルゲイツ社)の社長さんが贈呈して下さったそうです。自宅で見させて頂き、何となくここまでたどり着いた気が致します。実は、私は母校の武蔵美で椅子の研究をしていたのですが、その就職活動で使う鞄がなくて、インテリア会社の面接を辞めて、鞄のデザインに入ってしまったのが、今、私がレザーバッグアーティストになった由縁です。但し、年齢が黒川さんと2歳しか違わない事にショックを受けております。私と同じ世代で、あの作品数は、ビックリです。もっと、年を重ねていると思っておりました。私が仕事で初めて行ったイタリア(24年前)のスピーガー通りのショップを見たときは、カルチャーショックでした。黒川
さんの店舗設計にも同じ様に今もショックを受けました。物を表現する空間は、もっとさらに上でなくてはいけないのですね・・・。
他界された事がとても残念ではございますが、同じ40代でこのような方が存在した事にとても勇気をもらいました。
有り難うございました。

posted by: 徳永恵 : 2008年07月04日 12:46

>徳永恵さん
はじめまして。コメントを大変ありがとうございます。拝読して、本当に力のある作品にはジャンルを超えてポジティブな影響をもたらす力があるんだな、と改めて感じました。黒川氏と同じく、インテリアデザインを手掛ける者として、身の引き締まる思いがします。

posted by: 勝野+ヤギ : 2008年07月04日 23:57

黒川さんが亡くなって今年で6年目になりますね。
黒川さんのことを亡くなっても絶えず気にしながら仕事をしてます。(インテリア関係)彼ならこの間取りでどのようにデザインするかとかものさしのように思ってます。
生意気のようですが。
色々なことを聞いてみたかったし作品を見てみたかった。
本当に今でも、残念でならないです。
僕の中では、倉俣先生と同じ様です。


posted by: 黒坂 伸也 : 2011年06月08日 15:38

>黒坂さん
はじめまして。コメントを大変ありがとうございます。最も輝いていた時に突然亡くなってしまったのも倉俣と同様ですね。没後6年目に入って、すでに多くの作品が失われてしまったことも本当に残念です。今だからこそ、より資料性の高い作品集が出版され、黒川デザインが倉俣のように、多くのクリエーターに受け継がれるものとなるよう望まずにはいられません。

posted by: 勝野+ヤギ : 2011年06月09日 06:34

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