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落語初心者のメモ : 落語初心者のメモ 2008年10月

10/2。紀伊國屋サザンシアターで『笑福亭鶴瓶落語会』。先ずは鶴瓶師匠が洋服で登場してのトーク。林家たい平師匠で『不動坊』、さらに鶴瓶師匠で『青木先生』とお得意の根多が続く。どちらも構造が見事に完成されていて、何度聞いてもその細部を楽しめる。『青木先生』のバックに登場した松のセットがカッコ良かった。仲入を挟んで、最後は鶴瓶師匠で『死神』。バックには無数の蝋燭のセット。死神を女性にしての斬新な改作。あの風貌にしてあの艶っぽさ。登場人物たちの業の深さに思わずぞっとするサゲ。今後の可能性に期待の高まる根多だった。残念だったのは音響効果の酷さ。それと客の質の低さ。家でテレビでも見てるような感覚でホール落語に来ないでほしいもんだ。

10/4。国立演芸場で『第五回東西笑いの喬演』。最初は柳家小ぞうさんの『初天神』。小ぞうさんには珍しくやや不調か。続いて笑福亭三喬師匠で『あみだ池』。まくらからして地元西宮根多で爆笑。阿呆らしくも軽妙なやりとりを見るうちに、なんだか急に関西が懐かしくなった。さらに柳家さん喬師匠で『福禄寿』。六代目三遊亭円生作の冬の人情噺。至ってシンプルな筋立てにあって緻密な場面描写が際立つ。仲入を挟んで柳家喬太郎師匠自作の新作で『派出所ビーナス』。有り得ないキャラ設定とその演じ分けのみで成立するファンタジー。トリは笑福亭松喬師匠で『質屋蔵』。質草の背景にありそうな細かな事情を旦那が延々妄想しつつ劇中劇を繰り広げる場面が素晴らし過ぎる。淡々としたトーンで、かつ随所に笑いを生み出しながら感情の機微を織り上げてゆくが、その内容自体になんら意味は無い。その音楽性と、東京とは異なる上方の「粋」に感動した。

10/8。新宿末廣亭十月上席夜の部。この日は平成二十年落語協会新真打披露興行でトリは春風亭栄助改め百栄師匠。この日の百栄師匠はお得意の『お血脈』。五右衛門が馬鹿っぷりが素敵。よちみちゅっ!

10/10。練馬文化小ホールで『ふたりのビッグショー』。柳家喬の字さんのとても丁寧な『短命』に続いて寒空はだか先生のスタンダップコミック。久しぶりに『東京タワーの歌』が聞けて幸せ。柳亭市馬師匠は『鼠穴』。江戸に上って商売をする兄弟の成功と転落。師匠一流のからりとした口調によって、運命の非情さがくっきりと浮かび上がる。市馬師匠の落語は都会的なんだ、と気付く。仲入の後は千代馬・千代衿(市馬&恩田えり師匠)の民謡音曲漫才。ふわふわした千代馬先生のボケ。さらに輪をかけてふわふわした千代衿先生のツッコミ。ほんわかと脱力した心持ちになったところで、柳家喬太郎師匠はなんと『双蝶々』と超ヘビーな根多。極めて生々しく、魅力的な人物描写。終盤、芝居調の動作が鮮やか。正調の『双蝶々』を堪能させていただきつつ、逆に以前拝見した志らく師匠の『双蝶々』の演出がいかに優れたものだったかを思い知る。

10/14。浅草演芸ホール十月中席昼の部。この日は平成二十年落語協会新真打披露興行でトリは春風亭栄助改め百栄師匠。この日の百栄師匠はなんと京都が舞台の『はてなの茶碗』。以前に『リアクション指南』を拝見したときにもそう思ったが、百栄師匠の京言葉は流暢で違和感が少ない。油売りを江戸者にすることで会話に独特のリズムが生まれる。サゲはとことん能天気で歯切れ良く。素晴らしくカッコいい。

10/15。練馬文化小ホールで『長講三人の会』。開口一番は柳家右太楼さんで実に堂々とした『元犬』。右太楼さんは要チェックだ。続いての昔昔亭桃太郎師匠は『お見立て』。これはハマった。桃太郎師匠一流のナンセンスなくすぐりが筋立ての中で断然生きる。爆笑。さらに柳家権太楼師匠で『粗忽の釘』でこれまた爆笑。亭主のハチャメチャでチャーミングな粗忽ぶりが、映像でしか見たことの無い枝雀師匠の『宿替え』に重なる。仲入を挟んで柳家さん喬師匠で『福禄寿』。これが4日に国立で拝見したときよりもさらに研ぎ澄まされたものだった。高座と客席は完全に一体となり、ホールは年末のしんとした空気感に包まれる。三様の話芸。来年もあれば必ず来よう。

10/26。なかのZERO小ホールで『柳家さん喬柳家喬太郎 親子会』。柳家喬之進さんの『家見舞』に続いて喬太郎師匠自作の新作で『すみれ荘201号』。他愛も無い学生カップルの別れ話が、落研の設定を絡めることで妙にシュール、かつ滑稽で哀感に満ちた物語になってしまう不思議。さらに続いては、なんとさん喬師匠と喬太郎師匠が高座に並んで座っての対談。これがこの日一番ジンと来る素敵なものだった。中身自体は特に脈絡のない公開小言。だがその端々に喬太郎師匠の落語家としての苦しみと、さん喬師匠の達観、そして弟子への暖かい眼差しが垣間見える。そうか。いっそ潰れちゃって、もう一度作り直さなきゃダメなんだ。何度でも。と、表現者の端くれとして共感しつつ、師弟関係とはほとんど無縁でやってきたことを少しだけ後悔した。仲入の後はさん喬師匠で『妾馬』。城内に上がってからの八五郎を実に丁寧に描く。

2008年11月28日 01:00 | trackbacks (0) | comments (0)

身体と空間の芸術, 都市とデザインと : 展覧会行脚のメモ 2008年10月

10/7。パナソニック電工汐留ミュージアムで『村野藤吾 - 建築とインテリア ひとをつくる空間の美学』。村野と共働者たちの「手」の痕跡が心に残る展覧会だった。『十合百貨店(心斎橋そごう)』(1936)の階段手摺の原寸図、『世界平和記念堂』(1954)のために描かれた無数のファサードスケッチ、『新高輪プリンスホテル(グランドプリンスホテル新高輪)』(1982)客室入口枝折戸の原寸指示図など。『日生劇場(日本生命日比谷ビル)』(1963)天井の試作とスタディ模型の側には、粘土を削るための道具や模型の曲線を計るために手作りされた道具(枠にはまった百本くらいの木片を模型に押し付けてそのラインをトレースする)が生々しく置かれていた。最晩年の作品である『谷村美術館』(1983)の外観スタディ模型からは今でもはっきりと湿った粘土の臭気が感じられる。そこにはまるで村野の気配が立ちこめているようで、思わずぎくりとした。年譜を改めて見ると、主要な作品のほとんどが60歳代から80歳代までの20年間ほどの間に設計されていることが分かる。建築家とはかくも体力勝負だ。図録末尾にある隈研吾氏の寄稿「商品の対極にあるもの」は必読。

10/13。東京オペラシティアートギャラリーの『トレース・エレメンツ - 日豪の写真メディアにおける精神と記憶』に駆け込んだ。最終日の閉館20分前。古橋悌二の『LOVERS - 永遠の恋人たち』(1994)だけを鑑賞。1998年に青山スパイラルガーデンで行われた展示以来ちょうど10年振りの体験。
真っ黒な壁で正方形に区切られたスペース。その中心の回転台上にはビデオプロジェクターとスライドプロジェクターが各数台。壁面には全裸の人体がぼんやりと写し出され、振り向き、ゆっくりと走り、止まって誰かを抱きしめるような動作を見せては幻のように消えてゆく。
私たちにとって古橋はかつて最も大きな影響を受け、今も敬愛するクリエーターの一人。墓前に参詣するような気分の十数分だった。久しぶりにお会いできて良かった。

10/17と11/12。東京国立博物館で『大琳派展 - 継承と変奏』。前期の印象は中小の名品を上手く編集した展覧会、と言ったところ。会期中に主要な展示作品の入れ替えがあり、後期に再訪した際のインパクトはより大きかった。
第一会場の中ほどに風神雷神図の主要4作品が勢揃いした様はまさしく圧巻(俵屋宗達尾形光琳酒井抱一の二曲一双屏風と鈴木其一の襖/宗達と抱一は後期のみ展示)。オリジナルである宗達の作の素晴らしさは言うまでも無い。その向かいにあった其一の作(初見)は細部の表現をグラフィカルにそぎ落とし、超ワイドな画面へと二神を解き放つ。抜群の空間センスを痛感させる野心的改作。間に挟まった光琳と抱一はやや居心地が悪そうに見えた。
終盤にあった其一作『夏秋渓流図屏風』(初見/後期のみ展示)も期待を遥かに上回るもの。林立する杉の幹の太いラインで分断されたぶつ切りの画面に、極彩色の琳派モティーフが大胆に配置される。ぞっとするような鮮烈さ。

10/28。ギンザグラフィックギャラリーで『原研哉「白」』。1Fはパッケージデザインや装丁の作品で構成され、B1Fには近年に催された展示会や展覧会での超撥水加工技術を用いたインスタレーション3点が一同に。NHK『視点・論点』で放送された「白」にまつわるトークと、『蹲』を転がり落ちる水滴の描く優雅な軌道が印象的だった。本、買おう。

同日。クリエイションギャラリーG8とガーディアン・ガーデンで『福田繁雄 「ハードルは潜(kugu)れ」』。G8には手作りの習作からパブリックアートまでを含む立体作品の数々がぎっしり。ガーディアン・ガーデンには代表的なポスター作品とそのアイデアスケッチの現物、さらには中学、高校時代の漫画作品が展示されていた。限られたスペース内に濃縮された福田ワールドが展開し、二つの会場を見終えた頃にはもうお腹いっぱい。どこまでも一貫したユーモアと美意識、そして飽くなき探究心に感動を覚えた。個人的にはやはり立体作品の思考と最終形態との馬鹿馬鹿しいまでの直結ぶりに心惹かれる。

2008年11月23日 17:00 | trackbacks (0) | comments (0)

都市とデザインと : 銀座の気になるビル・2

10/28。銀座でデザイン展をはしごの途中、こんな建物の前を通り掛った。

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『竹川画廊』。ざっと見たところ地上2階、地下1階建ての鉄骨造かと思われる。上左右の三方が薄いオフホワイトの壁で囲われ、少し奥まったところに華奢な暗色のスチールサッシ。ガラス越しのすぐ向こう側に階段があり、上りきったところにちいさな箱状のバルコニーが突き出す。屋根の中央には大きなトップライトがあることが伺え、その下に調光板が吊られている。日中は自然光、夜間は蛍光灯による間接光が2階を満たす仕組みのようだ。1、2階とも天井は木材で仕上げられ、無機質な空間のアクセントとなっている。

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築年数も設計者も不明。佇まいからしておそらく1950年代から60年代の作ではないかと思われる。それにしても実に濃厚なモダニズム。

竹川画廊/東京都中央区銀座7-7-7

銀座の気になるビル(May 11, 2006)

2008年11月15日 06:00 | trackbacks (0) | comments (0)

ちょっといい風景 : 立石様

10/28。立石で打合せの後、『立石様』を初めて訪れた。私たちが知ったのはつい最近のことだが、古くから信仰されている下町の神様なのだそうだ。『立石祠』、『立石稲荷神社』とも称され、字の通り御神体は石。石と言っても大きさはかなりのもので、地表にはその一部分だけがちらりと顔をのぞかせている。江戸時代に実際にどのくらいの深さがあるのか掘り起こそうとした人が居て祟られた、とか、日清・日露戦争時にお守りとして削って持ち去られた、などの逸話も広く知られているようだ。とにかく、縄文初期には海の底だった(現在も中川の水面より下にある)低湿地にこのような巨石がぽつんとあることが、昔の人にもずいぶんと不思議に思われたらしい。

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場所は京成立石駅から東へ歩いて10分ほどの住宅街。葛飾税務署裏側の路地に面する公園(立石児童遊園)の東側入口に「立石祠」の標と小さな鳥居がある。

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鳥居をくぐり、敷石沿いに進むとさらに小さな鳥居に突き当たる。『立石様』はその向こう側の水色にペイントされた玉垣の中にいらっしゃった(別方向からの写真説明板)。

江戸名所図絵「立石村立石」の挿絵を見ると『立石様』のまわりはやや小高い地形となっている。すぐ周辺から埴輪や土師器が見つかっていることも考え合わせて、どうやら『立石様』は古墳時代の墳丘から突き出した石室の一部らしい、というのが最近の有力説のようだ。また、材質的に見てその出自は千葉県・鋸山から切り出された房州石だろうとのこと。

名所としても信仰の対象としても今ではほぼ忘れ去られてはいるものの、『立石様』が東京低地の真ん中でその風景の移り変わりと下町の盛衰を他の何物より永く見守って来た存在であることはきっと間違いない。西から来た新参者ですが、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

立石様(毛長川の古墳)
立石様(Wikipedia)

2008年11月12日 06:00 | trackbacks (0) | comments (0)

都市とデザインと : 日光東照宮

10/19。ウヱハラ先生のルーテシア号で日光東照宮へ。東京に暮らして十年以上になるにも関わらず、なんと権現様にご挨拶するのはこの日が初めて。

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参道を逆に見たところ。国の特別天然記念物であり特別史跡もである日光杉並木(1625頃から20年ほどをかけて植栽されたもの)にいきなり度肝を抜かれた。あまりに壮大過ぎる。入口にある石鳥居は、石造の鳥居としては最大級のもの(高さ5m)。この杉並木の狭間にあってはごく常識的なサイズにしか見えない。鳥居をくぐるとすぐ左手にある五重塔もまたしかり。それでも五重塔を間近で見上げ、極彩色の斗栱(ときょう)にシビれた辺りで、脳のどこかのスイッチが何やらパチンと入ったような感覚になってバシバシ写真を撮りはじめた。そして、この恐るべき超絶造作は、奥へと向かうに連れてぐんぐんとテンションを上げてゆくのだ。

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表門を向かって右側の裏側脇から見上げたところ。

三神庫(さんじんこ)のうち下神庫中神庫(全景)中神庫(部分)
中神庫の前から御水舎の方を見る上神庫(全景)上神庫(部分)
神厩舎(しんきゅうしゃ/全景)神厩舎(部分)
御水舎(おみずや/全景)御水舎(部分)輪蔵,伊達政宗公奉納南蛮鉄灯籠
御水舎前から陽明門見上げ1御水舎前から陽明門見上げ2
鐘楼前欄干を支える狛犬(右),鼓楼前回転灯籠本地堂前から東側を見る

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鐘楼を手前から見上げたところ。

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廻廊。半立体の花鳥彫刻(部分1部分2)が陽明門の両脇に延々と居並ぶ。

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そして陽明門正面(全景1全景2全景3部分)見上げ。

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陽明門の向かって左側を裏側から見上げたところ。
狂気の沙汰と言いたくなる過剰さ。

陽明門裏面(全景)陽明門裏面(部分)神輿舎(しんよしゃ)
御本社唐門(全景)御本社唐門(部分)唐門左脇透塀(すきべい)の千鳥

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有名な眠り猫は祈祷殿の脇、坂下門手前回廊の蟇股にちょこんと寝ている。大きさは仔猫程度。坂下門(全景部分1部分2)を抜けて、長い石段を奥宮へと上がると、拝殿の裏に宝塔(家康廟)がある。眠り猫の凄さは、その出来不出来以上に、こうした重要な場所にこんな可愛らしい彫り物を配置してしまうセンスにある。左甚五郎の作と伝わるのは、そのセンスゆえなんだろうな、と了解した(事実なのかもしれないけど)。

奥宮の鳥居(全景)奥宮の鳥居(部分)奥宮の狛犬(左)

御本社まわりは現在修復工事中。神前だけに撮影は不可だった。陽明門に勝るとも劣らぬ造作振りだっただけに心残りではあるが、またぜひ伺うとしよう。

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石段から坂下門を見下ろしたところ。

その過剰な人為と信仰の力の漲りに思わずフィレンツェのドゥオモを思い出した日光東照宮だったが、それは広場に鎮座するのではなく、巨大な木々の狭間に埋もれるようにして在った。そして、その森もまた人間の手でかたち作られている。これが日本の宗教観であり都市観なんだな、と感じ入った。

日光杉並木と保護活動(日光東照宮)
日光東照宮(Wikipedia)

2008年11月09日 06:00 | trackbacks (0) | comments (0)

研究活動のご連絡 : 12/13にレクチャーやります

12/13(土)に一般公開のレクチャーをやらせていただきます。新作根多下しです。love the lifeの研究資料を大画面でご覧いただきつつ「インテリアデザイン愛」満載の辛口漫談をお楽しみ下さい。忘年会疲れの胃にやさしい特製おにぎりも付いてます。

チラシ(PDF)


建築目利き倶楽部 インテリアレクチャー第2回
商環境デザイン史外伝 ver.1.0
インテリアデザインで街は変えられますか?
話す人:ヤギタカシ+勝野明美 (love the life)

2008.12.13(土)18:00-22:00 途中休憩あり
参加費:3500円 特製おにぎり+ソフトドリンク付
会場・申し込み・お問い合わせ:Life Creation Space OVE(オーヴ)
港区南青山3-4-8 / www.ove-web.com / 外苑前駅1a出口徒歩約10分
予約制 定員:40名様 先着順・定員になり次第締め切り
メール:info@ove-web.com / 電話:03-5785-0403 担当:古田さんまで

日本の商環境デザインはその黎明期から、ひろく同時多発的に、各地ごとに特徴ある展開を見せてきました。通り一遍の店構えが津々浦々を覆うようになってしまったのは、つい最近のことに過ぎません。商環境デザインのメインストリームを追った前回のレクチャー『商環境デザイン史概論』に続いて、今回は最先端のインテリアがいかにして地域に受け入れられ、生活と繋がってきたか、その手がかりを探ります。
まずは関西のパイオニアである岡山伸也氏、吉尾浩次氏の活動と、大阪市街に数多く点在する野井成正氏デザインの酒場に注目し、さらに碓井登氏による四国のスーパークールな喫茶店と、葉祥栄氏が九州で手掛けたインテリアを振り返ります。後半では東京のデザイナーによる喫茶店やカフェを70年代、90年代の二大ブームとともに概観しながら、都市と商環境のこれからを考察してみたいと思います。デザインに詳しい方も、ぜんぜん詳しくない方も、「実家のそばにこんな店が!」と、目からウロコをポロポロ落としつつ、どうぞごゆっくりとお過ごし下さい。
はたしてインテリアデザインは、地域性と多様性を取り戻すことが可能でしょうか。

皆様お誘い合わせの上どうぞお気軽にお越し下さい。

レクチャー@OVE 2008/09/05(November 1, 2008)
9/5にレクチャーやります(August 5, 2008)

2008年11月04日 10:00 | trackbacks (0) | comments (0)
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